薄曇りの白い空。煤けた質素なビル群が低い背を並べている。元は中小企業や個人商店で賑わっていたこの界隈も、より華やかな都会へ人を取られ空きビルが増えるばかりだ。
無愛想に白い、ところどころタイルの禿げた階段をレイドは昇っていた。
こじんまりとした5階建てのビル。それが丸ごとレイド達の支部だった。それだけ聞くと羽振りのいい話だが、どうも色々ややこしい経緯がある物件らしく何年も全然買い手がつかなかったそうだ。
ざらついた手すりに少し体重をかけ、レイドは息を吐いた。任務後の重い身体にこの急勾配はねぇよ…と毎度思う。しかし支部のドア前に立つ頃には、ちっとも疲れてない風を装うのだ。
「…ういーっす、戻ったぞー。」
「おかえりレイドー!」
「ぐふぉおッ!?」
どすぅッ、と衝撃が腹を抉った。なにかと思えば全力タックルしてきたエレジアだ。
「おかえりおかえりー!レイドレイドー!あっそぼー!」
「ぐほッ…おま…ふざけんなよ俺今帰ったばっかだっつの疲れてるっつの…。」
「えええー、にんむおわったのにー?あそべないー?」
「そういう訳じゃねぇけどよ…。」
そう広くない室内にはいくつか机が並んでおり、まばらに人が座っている。その中にキーボードを黙々と叩く男がいた。バイジャだ。
「おいバイジャ、お前居たんならコイツと遊んでやれよ。」
「構わんが、ならこれを頼む。」
これ、と視線が指したのは天高く積まれた書類山だった。何の書類かはさっぱりわからないが、どれだけ労力がかかるかはレイドでも察せる。
「…………撤回。前言撤回。俺が遊んでくるわ。」
「? そうか。」
軽く首を傾げると、それきりバイジャはパソコン仕事に戻った。こいつ俺が頷いたら本気で任せる気だったのだろうか。レイドの背筋がぞっと冷える。
傍らのエレジアは"遊んでくる"の一言で目を輝かせた。ぱああと嬉しそうに笑い、レイドへと飛びついてくる。
「やったーー!!レイドあそぼー、あそぼー!!」
「ぐほッ、いてぇ!いてぇっての!あのなぁちょっとだけだからな俺疲れてんだからな!」
「うんっ!わかったのー!」
あっそぶーあっそぶー、レイドとあっそぶー!そんな謎の歌が、廊下へとフェードアウトしていった。



廃材転がる郊外の空き地を、一陣の風が駆け抜ける。
「おそーい、レイドおそーい!!あははっ!」
「〜〜〜〜〜追いつけるかボケッ!!」
足を止めたエレジアがくるんと振り返った。その胸にはスカーフ留めが緑色に光っている。
なんとも可愛げのない『おにごっこ』だった。緑石の適合者に追いつける訳ないだろう。
「っていうか…石を…使うんじゃ…ねぇ…!」
ぜぇぜぇ息を吐くレイドへエレジアが駆け寄った。
「なんでなんでー?使ったらはやいよー?」
「おっまえなぁ…知らねーぞ、バテて任務できなくなってもよぉ…。」
「へーきへーき、エレげんき!まだまだへーきだよー。」
それにねー、と前置きしたエレジアはびしっと人差し指を突きつけた。
「くりかえしつかうことでひとはあるべきちからをとりもどす!」
きりっと真面目そうな顔をしてみせる。それをすぐに笑顔に溶かした。
「…って、アルが言ってたもん。いっぱいすごくなれるってことだよねー?エレ、いっぱいすごくなるんだよ。わるいこよりいーっぱいすごくなるの!めざせにんむのたつじん!」
たつじんたつじーん!とはしゃぐエレジアは心底楽しそうだった。遊べ遊べと言う割には頭ん中任務のことばっかだな…とレイドは呆れた。
確かに、オリジンはやりたい人間だけが集まる有志の組織だ。任務を喜んで引き受ける人間がとても多い。それにしたって、なぁ。軽くレイドは息を吐いた。エレジアはまだ幼い。もっと歳相応に、任務は程々でたくさん遊んだっていいんじゃないのか。
「レイドー、レイド聞いてるー?」
「え?あ、あぁわりぃ。なんか言ったか?」
「えええーレイド聞いてなかったー!えっとね、おにごっこ続き!続きしよー!」
「ええええまだやんのかよ!?もーいいだろぉ!?」
「ええーたりないよーもっとあそぼ!あそぼ!」
冗談じゃねぇ…。レイドは軽く眩暈がした。なんとかおにごっこを回避できないかと考え、すぐに良い事を思いつく。
「そっ、そうだエレ、違う遊びしようぜ!えーっとほらその…おままごと!おままごととか!」
ままごとなら女の子御用達の遊びだろう。奔らなくて済むし。…ところが。


「いや。」
帰ってきたのは、思わず呼吸も失う程の無表情だった。
「エレ、おままごと、いや。」


「………エレ?」
「やだ。」
頑なに、過剰に嫌だと繰り返す。小さな手のひらから、血の気が引くほど強くスカートを握りしめていた。
軽く俯いたその顔を、恐る恐る覗きこむ。
泣いたかと思ったが、泣いてはいなかった。しかしこれなら泣いてくれた方がどれほどマシだったか。その大きな目には、一切の光が無かったのだ。
「おままごとは、きらい。」

どれほど時間が経ったのか。張り詰めた緊張は、ぱっと咲いたエレジアの笑顔に破られた。
「レイドっ、やっぱりおにごっこしよ!しよー!」
「えっ…あ、え。」
「えっとね、エレがにげて、レイドがおに!よーーい、どーん!」
そうしてまた、空き地を風が駆け抜ける。常人にはあり得ない速度で、幼い少女が駆けていく。それをレイドは呆然と見送った。
オリジンは有志の組織。参加を強く望む者が、強く望む理由を持つ者が、集まる組織。
改めてそれを思い知った。無邪気で幼い目の前の少女は、オリジンの、構成員なのだと。



Little witch


fin.