「……何の冗談だ?」

比喩でもなく軽口でもなく、オルドルは本気でそう思い口にした。
だが静かに微笑むアルヘオの眼には、本気の色しか見えなかった。
「冗談なんて言うものか。俺はいつだって大真面目さ。」
「…嘘だろう。」
「嘘だってつかないよ。」
「では質問を変えよう。アルヘオ、正気か?」
オルドルは無表情だったが。淡々と口にしたが。胸倉を掴む手には尋常じゃない力が籠った。

「あの"猟竜"へ派遣するなんて、正気かと聞いているんだ。」

傍らのバイジャが咄嗟に槍を掴む。それをアルヘオは手で制した。微笑は揺らがない。
「…何度も言うけど、僕はいつだって大真面目さ。オルドル。」
掴む手をやんわりと払えば、オルドルはすぐに離した。
「色違いを狩りに行く事がそんなに可笑しいかな?」
「馬鹿か。馬鹿なのは常々わかってはいたが馬鹿か。情報も無ければ勝率も無い相手だとわからないのか。」
「ヒトは情熱次第でいくらでも覚醒できる生き物さ。二人に話を持ちかけたらとても良いやる気を見せてくれたよ。」
君の部下は良い子だね。柔らかく告げられた一言に、オルドルはぎっと歯を噛んだ。
「俺は二人の力を信じているよ。勝率は彼ら次第さ。何事もやってみなければわからないだろ?」
一瞬。その微笑みが、深まった。
「…成功するか、失敗するか、ね。」

ぞ、と背筋が粟立った。対峙するオルドルも、後ろに控えるバイジャも。
「…それは"狩り"ではない。ましてや"挑戦"ですらない。」
銀の髪を閃かせ、オルドルは踵を返した。

「"自殺"だ。」




v.s. Noelle the Hydra




がんッと硬い音を立てて、すぐ目の前に爪が突き刺さる。
はらりと舞った自分の髪の毛にナダレは震えあがった。
「〜〜〜〜ッッ冗ッ談じゃねぇよこんなのおおおおおおお!!!!」
思わず尻もちついた腰を無理矢理立たせ、こけつまろびつ逃げ出そうとした、が。
まともに動かせていないその足を、爪で貫くのは容易い事だった。
「ッいぐ…!!」
「ッは、ザマぁねぇなぁオッサン?」
引き抜けば、あっという間にどす黒い水たまりができる。それをびちゃ、と踏みしめ、見下ろすレイドはにぃやりと笑った。
「無様なモンだなぁ、どんだけえばってても最期には命乞いか。」
「ひッ…来るな、来るなっての…!」
「んで?テメェの飼ってる色違いは放置か?ほっぽりだして自分だけ逃げようって?あーあー無様だねぇ、ほんっとに笑えるなァ!」
「…ッ!?なっ、違ッ、馬鹿言え…!」
ノエルを飼うだって?馬鹿言え、冗談にしたってクソも笑えない。あいつは、あいつは俺の、
ナダレの思考を断ち切るように、地響きが轟いた。
身体ごと跳ねあがるような大きな地響きだ。ナダレも、そしてレイドも翻弄される。ちっと舌打ちしたレイドが、忌々しげに振り返った。
振り返った先には宙から地を蹴ったエヴァグリーンと、それをかわすノエルの姿があった。
「…はっ、避けるたぁ意外とやるじゃねぇか。クソ色の分際でよォ!」
耳障りなその声に眉をひそめながら、ノエルは軽やかに降り立った。
「…うるっさい技だな。声から動きまで全部下品だね。今のでナダレさんあたり死んだんじゃない?」
そりゃねーだろ生きてるまだ生きてる、とは思っても口が震えて動かなかった。
「フン、クソザコ共はクソ犬が片付けてくれるさ。」
じゃりっ、と重厚なブーツが砂を踏んだ。ゴーグルの奥に見える真っ赤な眼はぎらりと光っている。遠く離れているはずなのに、ナダレはぞっと背筋が冷えた。
ヤバい。
あれはヤバい目だ。利口な生存本能は警鐘を鳴らした。あれは、アイツはヤバい。そんなナダレを嘲ったかのようにエヴァグリーンは口端を歪めた。
「俺の相手は貴様だ、かかってこいよ、それともビビって腰抜けちまっ

たか?
と続くはずだった言葉は、ぶっつりと途絶えた。
ぶっつりと、
腹を貫いた巨大な釘によって。


「ごめん、クソザコまでしか聞こえなかったよ、ザコ。」


途絶えた言葉は血反吐に変わる。
膝を折り、崩れ落ちていくエヴァグリーン。一拍遅れて駆け寄ろうとしたレイドの、目の前で一瞬ノエルが消えた。
次の瞬間には、眼前数cmに釘の鉄格子ができている。
絶句し立ち尽くすその背中から、ガンケースの音がした。
「遅い。」
がんッ。鉄で殴りつけるような音が、異形の右腕を宙に飛ばした。
「―――ッッあ゛ああああああああああああああ!!!!」
右肩を押さえ崩れ落ちるレイドを、ノエルはひどく退屈そうに見下ろした。
「やっぱ大したことなかったね。ナダレさんでも勝てたんじゃない?」
「いや無理だからね!?」
吠えてはみるが、その声は安堵で震えていた。ああもう何震えてんだよ。バカみたいだ俺。
ノエルを一瞬でも心配するなんてバカみたいだ。
平然と立つノエルを見ると、こんな場所でも心底安堵してしまう。だから、言ったろう。ノエルを飼うなんて、冗談にしても笑えないって。
「……クソエビは、」
叫びも枯れ果てた声で、レイドが呟く。
まだ喋れたのという目でノエルはそれを見やった。
「見りゃわかるでしょ。慌てなくても後追わせてあげるよ。」
「後、だぁ…?…っは…はははははは…ッ!」
突然。レイドが笑いだす。イカれたか、と眉根を寄せる二人の前で、レイドはにぃやり笑った。

「その程度で…止めたつもりかよ……あいつを……!」

瞬間、
ナダレには風が吹いたようにしか見えなかった。
ノエルは気づいていた。振り向き、迫りくるソレを受けようとしたが、ほんのわずか間に合わず。
まるで風に吹かれて攫われたかのように。
ナダレが気付いた頃には、遥か遥か遠くノエルが吹っ飛ばされていた。蹴り飛ばした音が余韻を引く。砕けた瓦礫山に、からんと転がるノエルをナダレは、見つめた。
「………ノエル?」
ナダレにはそれが、白昼夢にしか思えなかった。
ぎこちなく、震えながら振り向けば、あの男が其処にいた。腹からどす黒い血を噴きながら、エヴァグリーンが立っていた。
「…ッひひ…ひゃっははははははは!!!!」
笑う、笑う。ゴーグルは砕けずり落ちて、剥き身になった眼がぎらぎら光る。
「クソの分際でッ!クソ色の分際でッ!!俺様を殺せたとでも思ったか!?ナめてんじゃねぇぞ糞野郎がああああああッ!!!ひゃっははははははは!!!」
耳障りな哄笑は、辺り一帯の空気をかき揺らした。揺れに呑まれたナダレは、震えながら睨むしかできなかった。
「てッ…めェエエ…!!」
「ぁあ?クソ野郎なんか言ったかァ…?」
ゆらり、と首を向けられただけで、膝から崩れ落ちそうだ。だがその首が再びノエルに向いた時、ほぼ反射的にナダレはエヴァグリーンへしがみついていた。
「…おい。何の真似だァクソ野郎。テメェから殺られてぇのか?あ?」
「てめぇ…てめぇノエルを…ノエルっ…ノエルノエルノエル…!!」
「るっせェなクソボケが!!邪魔っくせぇ、吹っ飛べクソが!!」
「ひッ…いやだっ、いやだノエルッ、ノエルうううううううううううううッッ!!!!」


「五月蠅いなぁ。」
その一言があたりをぴたりと静めた。
全員の視線が瓦礫山に向いた。緑の髪からぱら、と埃が落ちる。ゆっくり上体を起こしたノエルが、すぅと目を開いた。
「ノエル…ッ!!!」
その声の情けなさに、ノエルは重く溜息をついた。
「きったない顔…。家畜のくせにボクの心配するなんて、生意気だぞ?」
呆れ果てながらも、その瞳は少しだけ柔らかい。
それをすぐさま研ぎ澄まし、ノエルは残る二人を見据えた。
「……で、家畜はともかくお前たちまで生意気なのは、許せないな。」
かつん。ヒールの軽い音が、ひどく重く響く。ゆらりと立ち上がったノエルは、手に持つガンケースを、投げた。
「―――教育が必要だ!」
その指先に灯る青い炎。瞬く間に全身へ燃え移った。




何度目かわからない蹴りが腹に決まった。
吹っ飛んだエヴァグリーンはどうにか受け身を取り、全力で後ろに跳び逃げた。逃げじゃない。間合いを取るだけだ。彼は自分にそう言い聞かせるが、その顔は真っ青に青ざめている。
何度も何度も、何度も念じて、セブンストーンを光らせた。速く速く速く速く、もっとだ、もっともっと速く。踏みっぱなしのアクセルのように、石はエヴァグリーンの最速を引きだしていた。
なのに、なのに、なのになのになのになのになのに!!!
引き離したと思ったら、すぐに間近へ金の瞳が迫った。
「ッああああああああああ!!!」
半狂乱で繰り出す『ドラゴンクロー』など、当たるはずもなかった。
やべぇ、やべぇやべぇやべぇ!!ひどく重く感じる自分の身体。焦りばかりが加速した。
あんな細いハイヒールなのに風を纏ってるはずの俺が 追いつかれて……ッ! こんなヤツが居るなんて聞いてねぇ!!何だ、何だこいつは……!!

それはもはや"戦い"ではない。
気付けば先回ったノエルが、にっこり笑んで拳を振り上げる。
…それは"狩り"だ。強い生き物が、弱い生き物を喰らう"狩り"だ。
視認すらできない速さで、拳はエヴァグリーンの歯を砕き吹っ飛ばした。
「―――クソッ、クソ色ちがいのクソ虫のくせにッ、畜生おぉオ!!」
「ははっ、悪役っぽぉい。」
けらけら無邪気に笑うノエルの、背後ではレイドが物言わず転がっている。
追い駆けるうちに巡り巡って、ケースを捨てた場所に帰ってきていた。ノエルはそれを無造作に拾い、エヴァグリーンに突きつける。
もうその身体は、糸が切れたように動かない。
恐怖に見開いた赤い瞳に、愛らしく笑うノエルが映っていた。
「…そんじゃーね、"クソ野郎"。」
がんッ。鉄で殴りつけるようなあの音が、無様に鳴った。




しかし肉を貫く音は、しなかった。
代わりに響いたのは、ぎぃんと尾を引く金属音。割って入った大剣が、釘を弾く音だった。
さしものノエルも一瞬呆然とする。その一瞬に。
離れて見守っていたナダレの肩を、紫色の槍が貫いた。
「…ッが…!?」
「…ッ!?」
ノエルが振り向く。崩れ落ちたナダレの背後に、三つ編みの男を視認した。
「―――ッ人の家畜に何してくれてんだよッッ!!!」
怒りに任せてノエルが釘を撃つ。男は緑の髪留めを光らせると、一瞬で後ろへ跳び逃げた。その速さはエヴァグリーンの比ではない。
すかさずノエルがそれを追いかけた時、エヴァグリーンは呆然と呟いた。
「……オル…ドル…?」
呼ばれたオルドルは、視線だけエヴァグリーンへ寄越した。
「…エヴァグリーン。そしてレイド。撤退だ。支部へ戻るぞ。」
「ッ、断る!!誰がッ、誰がこのままおめおめ撤退するかよクソ野郎がッ!!」
「バイジャの足なら十分な時間が稼げる。その間に撤退する。これは支部長命令だ。」
「ふざけんなッ!!!ふざけんなふざけんなふざけんなッ!!何が支部長命令だッ、俺はッ、俺はあんなクソ野郎になんざ絶対…ッ!!」
その時。意識のなかったレイドが、ゆっくりと身を起こした。
一瞬遅れてばっと顔を上げ、離れたノエルを、死に体のエヴァグリーンを視認する。そしてオルドルと、目が合った。
「―――支部長命だ!この場を撤退する、生きて帰れッ!!」
それが背中を押した。

残った腕でレイドは、エヴァグリーンをひっつかんだ。

襟首をひっつかむ形で、そのまま走る。走る。エヴァグリーンが抵抗する隙もない。
二人を先導すべくオルドルも駆けていく。
エヴァグリーンは、

「――――――――ッッ!!!!」

声にならない、たけびを上げた。
それきり、既に限界も越えていたのだろう。意識をそのまま、手放した。


fin.