天スギの里・中ノ沢                                2013年4月4日                            天杉太郎 今まで、中ノ沢を拠点に進めてきた天スギ調査を振り返ってみて、 これからの天スギ調査について改めて強く思うことがありました。それは、『天然スギと人とのかかわり』です。 スギの専門家「清盛」氏は、ヨドの森の「Y-10」は 『根上り木』 であると判断されています。 「根上り木」で元の切り株が原型をとどめていないくらい腐食が進んで空洞化している天然スギは そうとう古い時代に伐採された可能性が高いと言われています。 と言うことは、ヨドの森の天スギは、寛文元年 1661年 与惣左エ門一家が綱木街道を旅して来て、 中ノ沢を開墾し今の中ノ沢となるずっとむかし、「大昔の人たち」によって伐採されていたことになります。 これは「凄いこと」です! 「Y-10」が「根上り木」だとすると、「Y-7」で確認された伐採痕、 そしてシンボルタワー「Y-1」の樹形の謎も解けてきます。 加えて、ヨドの森・笠菅山など中ノ沢の周辺に点在する奇妙な形の天然スギは、 文献調査・実地調査の結果、その多くが 『天然スギのあがりこ型樹形』 ではないかと考えられます。 「天然スギ」の樹形は、自然環境と人的環境の影響を受けて、 長い年月の中で形づくられて来たのではないでしょうか。「人的環境」とは、 昔の人達が自然との共生の中で木を利用して生活して行く環境のことを言います。 「里山」もこのひとつと言えます。 『ヨドの森の天然スギ』は、自分たちが過酷な環境でしか生きれなかったことを、 その環境の中でたくましく生き抜いてきたことを、 そして、大昔からその地に住む人たちとのかかわり・過去の歴史・生活史をも、 自らの姿、そのボディーランゲージで語り、我々に教えてくれているのです。 わたしは、中ノ沢の自然とそこに住む人達が好きで中ノ沢に通い、 中ノ沢の自然をつぶさに回る中で天然スギに出会い、その天然スギの生態を調べて行く中で、 天然スギの人とのかかわりが見えてきて、天然スギの不思議を知ることは 大むかしからの中ノ沢の生活史を知ることにつながっていくことがわかって来ました。 中ノ沢の生活史は人と自然との共生の歴史であり、 今の現代人にとってもっとも学ぶべきことがつまっている宝物だと思うのです。 当初、天然スギの厳しい自然環境の中を生き抜く凄さ、たくましさ、生き様に理屈抜きに感動し、 その後の天然スギをさらに広く深く調べて行く中で、わたしが最も大事と考えていた、 自然と人とのかかわり合いにつながって行ったのです。 わたしにはこのことが、とてもとてもうれしいのです。 我が意を得たり。自分の思い、気づきは正しかった、良かった。という感じです。 最近思うことがもうひとつあります。 仕事柄、スマートフォンやパソコン、情報端末などの市場に関わる中、 世の中の便利さを求める流れは留まるところを知らずエスカレートして行っています。 スマートフォンでいつでもどこからでも操作できるスマート家電??!!。 人はいったい何をしようとしているんだろう。と思っているのです。 次から次へと新しいものを求め、古いものは価値のないものとして捨て去られて行く。 人は便利な便利な世の中を求め、その先何を求めようとしているのでしょうか。 子供たちは高性能?のゲーム機に興じ、外で自然の中で遊ぶ機会をう失い、 大人たちの自然感は、高画質の薄型テレビの中のすばらしい自然画像に、 雰囲気たっぷりのBGMの中、リビングでケーキにお茶を飲みながら見ることができます。 すべてがバーチャルの世界、人によって作られたものです。 それが真実の姿と思い、子供たちは大人になって行き、大人は子供たちに接して行きます。 こうした表現が適切かはわかりませんが、アナログの時代はまだ人の感性と文明の利器の バランスが取れていたように思います。デジタル化時代の到来と共に一挙にバランスが崩れて来たように思います。  週の後半、中ノ沢に身をおく中で、わたしの気持ち・こころは平常心を取り戻していると言ってよいのかもしれません。  中ノ沢の暮らしは、大変なものです。安易に良いところですとは言えません。 すべてが 『不便利さ』 の中にあると言ってもよいのです。  でも、ながくながく自然とともに暮らしてきた生活の中には、今のわたしたちが学ぶべきことがたくさんあると思っています。 「天スギ」と言うキーワード、「天スギ調査」と言うテーマを持つことで進められてきた活動ですが、 この活動の今後の進むべき方向が次第に定まってきているように思います。 良き支援者、竹内さんより次の様な助言を頂いています。 『樹種を問わず、また植栽木であっても、巨樹・巨木にはその周辺住民の生活や自然環境の変遷を乗り越えてきた重みがあり、 それが我々に感動を与える要因になっていると思います。また、その樹木に対する「なぜ?」という素朴な疑問も沢山あると思います。 そこで、巨樹・巨木が生きてきた経過を科学的に探求する以外に、「巨木の謎を解く」と言うような集まりにしたら、 樹木学、民俗学、心理学、山村学、歴史学などなど、いろいろな側面から話題が集まるような気がします。』 森林科学館の明石さんからも次の様な助言をもらっています。 『一般の自然間連の組織が人間不在の生態学的な視点で森林や樹木を考察するのに対して私たちの目指す活動では、 人間やその生活と切り離さない視点で考察していったらどうかと考えています。日本人とスギは切っても切れない関係にあると思うからです。 「あがりこ」は典型的に人の作り出した樹形なのですから。』   今後は「中ノ沢・天スギ研究会」として、さらに活動を続けていきます。                              ブログ 『越後の天杉日記』 より抜粋                                     天杉太郎